女性性と男性性

まず女性と男性の違いについてですが、これはなんといっても「子宮」があるかないかですね。


男性器と女性器、精嚢と卵巣など、形態は違えど相するものを大抵男女は持つのですが、子宮に当たるものだけが男子にはありません。


それは、女性には「肉体」というハードウェアをこの三次元世界に産み出す役目があるからです。


対して男性はソフトウェアとして、その肉体の元となる卵子を起動する役目を持ちます。


この両方がなければ、僕たちはこの三次元世界に誕生することはできません。

 


「男尊女卑」というのは、このソフトの方をハードより大事にするという考えです。


この両者に優劣をつける時点でまずおかしいのですが、そこへきてハードよりもソフトを大事にするという点で二重に変ですね。


両方ないと動かないのはわかりますが、でもどっちかを大事にしろと言われたら大事するのはやっぱり「ハード」でしょう。


何しろ、ハードがなければソフトは「存在すらし得ない」のだから。


それに、こう言ってはなんですがソフトってのは換えがきくんです。


ある意味、男なんて一人いれば人口など勝手に増えていきます。


でも「卵子」がないことには、なにも始まりません。


つまり、男女に関しては平等なんかあり得ないんです。


それどころか、創造主と創造物のような全く勝負にならない関係が、そこに存在していると言っても過言ではありません。


それは、全ての人間は女性から産まれたという事実が物語っています。


それと、子を見捨てられない女性性の本質。


これによって「世界は成り立って」います。


もし女性性の優しさがなかったら、子を愛で育てる代わりにチップを埋め込んで管理する世の中にきっとなっていたでしょう。

 


「男尊女卑」この歪んだ考えを維持するために、世の中は様々な差別を女性に対して行ってきました。


現代の世におけるポルノはその一つです。


多くのポルノは、見た目の過剰な演出や細分化されたエロなど、女性をモノのレベルに落とし込む表現を行います。


しかし本当にHなのは、女性の心が完全に解放されたときに産まれる予測不可能なHです。


このHのためには、女性の心を相当安心または楽しくさせる必要があるのですが、その努力を愛で行わずに金や強要など愛以外の方法で実現させようとするのが今のポルノです。


これは、いくら手を換えても決して境地に届くことのない無限ループの状態です。


ロリコンも、保護して成長を見守ってあげなければいけない存在をただ性欲の対象にしている点で、非常に罪が深いと言えます。


これらの現象が起きている理由はただ一つ、男子に「子どもの時に好きにさせなかったから」、この一言に尽きます。

 


男子というのは、女子と違って半分は精神でできているんです。


だから、この肉体次元のことでは男子は女子に敵いません。


寿命も肉体の体感もまわりへの順応性も、男子は女子に敵いません。


しかしその代わりに、男子は「身を賭ける」ことができます。


これは、自分を精神体だと知る者ができる行為です。


女子は、おそらく結婚時しかそれをしないはずです。


しかし男子は、それこそ今好きなことに100%「身を賭ける」ことができます。


これは、女子のように体内に守る「お宮」がないからですね。


だから、何でも「思いっ切り」できてしまうんです。

 


この「思いっ切り」できることこそが男子の本懐です。


だから男子には、小さいうちから何でも好きなことを思いっ切りさせて育てるといいんです。


このように育てられた男子は、ポルノが氾濫する世の中でもそれに惑わされることがありません。


男子の本懐に生きてるので、女子の一部だけを見せるポルノに惑わされないのです。


逆に「好きなことをさせてもらえなかった男子」、この男子は将来絶対大変になります。


今はそんな男の人ばかりでしょう。


子ども時代に好きなことを思いっ切りさせてもらえなかった、だから大人になってしかも大人のゆがんだ頭でそれをやろうとします。


男子に好きなことをやらせないのは、女子に「かわいい」を諦めて生きろというのと同じです。


そんなことをされたら、病んでしまうのは当然の話です。


そうして病んだ男子は、大人になって得た力を使って女子をモノのように扱います。


つまり女子は、自分の息子たちに好きにさせないことで、自分たち女子の将来も同時に狭めているのです。

 


男子の半分は精神と言いました。


精神とは、その名の通り「神のエッセンス」のことです。


だから、精神が高まれば人間は神になり、逆に堕落すれば獣化した存在となります。


そして「男尊女卑」とは、精神のレベルに関係なく男が神のように振る舞うことです。


このような乱暴な考えは、とっととやめなければなりません。


では、どうすれば「男尊女卑」という考えが間違いだという概念が広がるのでしょう。


そのためには、女性をモノとして扱うことをやめる必要があります。


これは男女ともにそうです。


特に、女性の方が自分を商品と思っているふしすらありますね。


その考えが、男をポルノに走らせ、結果的に「女性は若いうちが花」という考えを蔓延らせます。


女性の本当の美しさとは心の美しさです。


それは、命を放っておけない「女神の心」です。


近いうちに、男子はこの美しさに揃って目覚めます。


その日がまもなくやって来ることを女子の皆さんには知ってほしいと思います。


そのときに慌ててしまわないよう、今から「本当の女子力」というものに目覚めてほしいと思います。


本当の女子力とは、今思う女子力を発揮するその前に、すべての生命がみな幸せであることを祈ることです。


そうするだけで、目覚めた男子たちの目に留まる女子になれます。

 


男子には、「無常」を受け入れる覚悟が必要です。


「無常」つまりすべてをなくす覚悟のことです。


そんな難しいこと、できるわけないと思うかも知れません。


でも僕たちは、「明日何が起きるかわからない」世界に実際のところ生きています。


急に病気になるかもしれない、事故に会うかもしれない。


地震が起きるかもしれない。


明日の事を思い煩うというのは、実は傲慢なことです。


だって、予想した通りの明日が来るとは誰にもわからないのだから。


そう本気で考えた時、自分の中にどんな変化が起きるでしょう。


男子には、ぜひその変化に従ってほしいと思います。


どの人間もいつ死ぬかわからない、そう本気で考えたなら今やるべきことは「今日死んで悔いのないこと」それ以外にないはずです。


そして、男子のそのような姿を見た女子は、本能でその男子を応援してしまうことでしょう。

 


ソフトウェアはハードウェアがなければ存在し得ません。


しかし、そのソフトの進化がハードを進化させてきたこともまた事実です。


女子の本質が「存在」つまり「ただある」ことだとすれば、男子の本質はそれを進化させるところにあります。


そして男子が進化する時、女子がそして女子が産み育てる子どもたち、つまり「世の中」が進化します。


もちろん、現在僕たちが置かれているがんじがらめの状況の中では、「人としての進化」を考えることなど至難の業でしょう。


いくら「無常」を受け入れる事が必要だと言っても、何もかも失うことは想像するだけでも辛いことです。


そういうときは、励まし合いましょう。


「無常」に向かう者同志励ましあえば、きっと何らかの活路つまり喜びが見えるはずです。


その喜びの先には、どの男女も仲良くなれる新しい世界が待っています。


その世界でみなさんに出会いたい、そう願っています。