カバールの終焉~慈悲と寛容さの必要性~

これはアインシュタインンが1922年に来日した際残したと言われる言葉です。

1 近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。

2 日本人のすばらしさは、きちんとした躾や心のやさしさにある。

3 日本人は、これまで知り合ったどの国の人よりも、うわべだけでなく、すべての物事に対して物静かで、控え目で、知的で、芸術好きで、思いやりがあって非常に感じがよい人たちです。

4 この地球という星の上に今もなお、こんな優美な芸術的伝統を持ち、あのような素朴さと心の美しさをそなえている国民が存在している。

5 この国に特有な感情のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる、同情心の強さ。

これは1951年、72歳の誕生日のものです。

6 日本の風光は美しい。日本の自然を洗っている光はことのほか美しい。

7 日本では、自然と人間は、一体化しているように見えます。

8 家屋建築が自然の風光と調和して一種の彫刻のようです。

9 日本は絵の国、詩の国であり、謙遜の美徳は、滞在中最も感銘をうけ忘れがたいものとなりました。

10 日本人以外にこれほど純粋な心を持つ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである。

11 この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。

12 それにはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本と言う尊い国をつくっておいてくれたことを。

これ以上ないほどの礼賛の言葉が並びます。

この言葉が、物理学の真髄を極めようとした人物の口から出たことを思うと感慨ひとしおです。

その日本がどうして今のような有様になってしまっているのか。

それはカバールに徹底攻撃をされたからです。

このような言い方をすると陰謀論と言って否定する人がいますが、だとしたらこれだけの堕落をどう説明するのでしょう。

何の外圧もなしに、短期間の間に一民族の精神性がここまで堕落することは可能でしょうか?


カバールとは、一言で言えば自然の摂理に逆らう人たちのことです。

自然の摂理とは、大調和や共存共栄のように個と全体が共に繫栄する仕組みのことです。

カバールはこの仕組みを大いに嫌がりました。

なぜなら彼らのマインドは、一部の者だけが利益を得る世界への妄想に取り憑かれているからです。

そんな彼らが、上に挙げた日本人の資質を喜ぶわけがありません。

まして日本は、第二次世界大戦において圧倒的に優位な連合国に対し不屈の闘志を見せつけました。

カバールはどこかで日本人を不倶戴天の敵とみなしたはずです。

物質のレベルでいくらやっつけても根を上げない日本人を見た彼らは、精神のレベルで僕たちをやっつける意志を固めました。

その戦略の一つが3S政策です。


3S政策というのは、スクリーン、スポーツそしてセックスの3つの「S」により日本人を愚民化させようとする戦略です。

まずスクリーンは二次元を真実と思い込ませる目的で導入されました。

二次元というのは「人間の作者が必ずいる世界」です。

二次元の世界では、自然という作者による大調和の発露は人間の作者にそれがない限りありません。

自然という作者は、共存共栄の実現のために人間の想像を超えた業を発揮しますが、人間に人間の想像を超えることはできません。

カバールは、スクリーンの出来事を真実と思わせることで、日本人を自然から切り離すことに成功しました。

この戦略により、日本人は自然の行う想像を超えた出来事より、人間の想像の範囲内で起こる出来事を好むようになりました。

これは人間の想像を超えるシーンを演出できる力を持つカバールにとって、非常に都合のいい話です。


スポーツは、日本人の「和」を分断させる目的で導入されました。

カバールは、日本人の資質である「和」が彼らの戦略上邪魔になることを知っていました。

彼らは「和」に喜びを感じる僕たちの習性を逆手にとり、プロスポーツを通じて僕たちの「和」を小さな「和」に分断しその「和」同士を争わせることに成功しました。

それまで国益のために働く意識を持っていたサラリーマンたちが自社の利益のみを意識するようになったのも、この戦略の効果ではないかと思います。

スポーツは、スポーツマンシップというフェアの精神が保たれていれば健全な競争と成長をもたらします。

逆にスポーツマンシップが失われた時は、勝利という利益にしがみつく醜い姿を露呈します。

アインシュタインが指摘した同情心は、この国のスポーツの健全さを守ってきましたが、カバールはここもきっちりと狙ってきました。

セックス、つまりスケベ心の肯定です。


スケベ心はフェアの精神の対極にあるものです。

実際にアダルトビデオが世に出てから日本男児は瞬く間に高潔さを失いました。

今日死んでやむなしという潔さが失われ、欲のために明日も生きたいと思う意識が当たり前とされました。

またアダルトビデオに登場する性表現のほとんどは女性をモノのように扱いますが、自らの出自である女性をモノのように扱えば自分がモノ化するのは当然のことです。

そうして人々は、自分自身よりも付帯するモノに価値を置くようになり、ついには純粋な恋愛というものが何なのかを忘れるようになりました。

先日話題になった「夫婦別姓とかどうでもいいから、日本は一夫多妻制にして欲しい!そうすれば、私にもモテ男の夫人になれる可能性がある!」とのツイートは、純粋な恋愛が稀有となった現状を見事に表現しています。


過去にアインシュタインがべた褒めした日本人の堕落には、確実にカバールの戦略が影響しています。

逆を言えば、ここまでやらなければ僕たちを陥落させることはできなかったのです。

そういう意味で言えば、僕たちの敵はマナーを忘れた隣人でも現実を認めずにひたすらアンチ化する人たちでもなく、彼らをそのような人格に変容させたカバールです。

生まれながらに愛と尊厳を存分に発揮していたはずの赤ん坊を、堕落した大人に育てる仕組みを創ったカバールです。

僕たちは、このカバールがいよいよ僕たちの世界から排除される瞬間を目撃しようとしています。

カバールによる陰が充分に極まったので、真逆の陽が始まるのです。


カバールは、自分たちに怒りの矛先が向かないよう今も必死で僕たち人民同士を争わせようとしています。

そしてみなさんご存じのように、多くの大衆はそのような策略に気付かず周りの誰かへの敵意を疑おうとしません。

この敵意に反応してしまうのは仕方のないことかもしれませんが、もし早急な平和の到来を望むのなら慈悲と寛容さを発揮してシーンの勢いを止める必要があります。

怒れる大衆に怒りを返すのではなく、不遇に捉われ逃れられなくなった彼らを憐みの目で見る必要があります。

神はカバールに最大限の悪事を許しました。

それにより、平和を願う強い意志が僕たちにもたらされるからです。

カバールがいなくなった後訪れるのは、平和の大切さにとことん気付いた人たちが集まって創る誰もが幸せに暮らす世界です。

一部の人間だけではなくすべての人が繁栄を享受する優しい開かれた世界です。


これから人類はそれでもなお自分たちだけの繁栄を望む人と平等で公平な繁栄を望む人に分かれます。

自分たちだけの繁栄を望む彼らは、あの手この手で僕たちを誘い寄せその手下にしようとするでしょう。

最後の勝負に賭ける彼らは、政治やメディアなど持てる力をすべてを注ぎ込むので、多くの人は彼らに付き従ってしまうかもしれません。

それでも目覚めた人たちは再び寝ることを拒みます。

彼らは国中そして世界中の目覚めた人間たちと連携を図りながら終末の難を逃れ、そしてついに数千年の栄華を誇ったカバール帝国の崩壊を外から目撃します。

帝国の崩壊のあとは、危険がなくなったためにオープンにコンタクトできるようになった高次元存在との交流が始まります。

先ほど話した慈悲と寛容さの発揮は、このゴールへの到達を少しでも早めるために必要なことです。

怒りは彼らへの憐れみと別れの切なさに変えましょう。

それは間違いなく彼らの気付きを加速させるはずです。