インシャアッラーとは
みなさんは,、インシャアッラーという言葉を聞いたことがありますか?
インシャアッラーとは、アラビア語で「神の思いに叶うなら」という意味です。
ここでいう神とは創造主、つまり世界のすべてを創造する神のことです。
イスラム教の聖典であるクルアーンは、この創造主が例えようもなく慈悲深くそして慈愛あまねく存在であると伝えます。
そして、もしその言葉通り創造主が慈悲と慈愛に溢れた存在だとしたら、僕たちの住むこの世界も慈悲と慈愛に溢れた世界となっているはずです。
しかし、まわりを見渡してみればわかる通り僕たちの世界はまったくそのようになっていません。
それどころか、クルアーンが伝える創造主の本質とは真逆の様相となっています。
これは一体どういうことでしょう。
実は、すべてを創造する創造主はとんでもない「異常」も創造したのです。
「異常」を体験したい者の望みを叶えたという言い方がいいかもしれません。
この出来事については、聖書やクルアーンが「大天使の堕落」という表現で伝えています。
しかし、実際には堕落というより究極の好奇心が理由であったかもしれません。
実は、創造主と見紛うほどの力を持った存在が、創造主からの独立を図った出来事があったのです。
創造主の完全性から逃れても存在できるのではないかと考えた大天使が、自らを創造主から切り離す実験を行ったんですね。
この実験は、もちろんうまくいきませんでした。
だって、創造主から自分を切り離そうというその実験すらも創造主による創造なのだから、どうしたってうまくいくわけがありません。
普通の天使であれば、何をやっても創造主から切り離せない自分に気が付いてどこかで諦めていたでしょう。
しかし、この実験の主催者である大天使は違いました。
彼は、すべての天使の頂点に立つ大天使でした。
彼は、この壮大な実験を行える者は、自分以外にいないことを知っていました。
彼は、その誇りを持って創造主から自らを切り離すチャレンジをし続けました。
そして彼は、創造主の本質である慈悲や慈愛そして大調和とは真逆の世界を、持てる力のすべてを使って創造し続けることになりました。
創造主から切り離された自分であり続けるためには、それしか方法がなかったからです。
この大天使には、ある一つのことを除いてすべてを可能にする力が創造主から与えられていました。
それは「創造されたから存在する」という事実です。
これは、命があるから生きているというのと同じことです。
生きるとは命があることを言うのだから、命なくして生きることは不可能です。
同じく創造されたという事実なくして存在することは、例え大天使であろうと不可能です。
クルアーンによれば、大天使がこのような無茶なチャレンジに挑んだのは、人間の誕生が原因だったようです。
われが天使たちに、「アーダムにサジダしなさい。」と告げた時を思え。その時イブリース以外はサジダした。かれは言った。「あなたが泥で創られた者に、どうしてサジダしましょうか。」と言った。(第17章61節)
イブリースとは、先ほどから登場する大天使のことです。
そしてサジダとはひれ伏すことです。
創造主は、すべての天使たちに人間であるアーダムにサジダすることを求めました。
なぜなら、天界の住民として創造された天使たちと違って、地から産まれた人間には天と地の両方を治める資質と可能性が備わるからです。
「この者は今は地の住民だが、いずれはあなた方を治める立場になるかもしれない」そう言って創造主は天使たちにアーダムへのサジダを求めました。
そして、大天使以外の天使たちはみなアーダムにサジダしましたが、大天使だけはサジダをしませんでした。
天界から見れば、地の世界など大海に浮かぶ米粒のようなものです。
その天界を司る大天使が、地から産まれたアーダムにサジダしなかったのは当然と言えば当然かもしれません。
この大天使のストーリーは、天と地さえも創造主から見ればただの同列の創造物に過ぎないことを伝えています。
同時に、僕たち人間に備わる無限の進化の可能性についても伝えています。
天使はそれぞれの領域での役目をプログラムされて産まれますが、人間にはそのようなプログラムが存在しません。
そしてプログラムが施されないという事は、無限の可能性を孕むという事でもあります。
人間は、地に産まれ最も低い領域からその生を始めます。
そこから始めて上へ上へと精神の領域を拡げ、ついには天使と呼ばれる存在と同等の領域へ自らを到達させます。(仏やマスターと呼ばれる人たちですね)
そして、進化を求める人間の魂はその領域をも卒業し、ついには創造主と呼ばれる存在の領域へ自らの魂を到達させます。
聖書には「神は人間を自分に似せて創った」との記述がありますが、まさに人間こそは創造主の種を持った存在として創り出されたのです。
そのような人間たちは、自らの進化のために様々な体験をすることを自らに許しました。
例えば物事の本当の意味は、そのもののポジティブな面とネガティブな面の両方を知らなければ理解することはできません。
そして今僕たちは、世界に存在するネガティブな面をとことん体験するフェーズに自らを置いています。
これは、世界が何であったかを本当に知る前触れです。
人類数千年、数万年の歴史に起きたことが実際何であったのか、その本当の意味を僕たちは知ろうといています。
このような壮大な変化の時期に平然としていられる人は一人もいません。
大天使の望みに応え創造主が創造した「異常」、その「異常」の総決算に面した多くの人たちは混乱し我を失っています。
この「異常」の総決算はまだまだ続きます。
「異常」の向こう側にある「永遠の正常」つまり涅槃の到来を全員が求めるまで、この「異常」の噴出は続きます。
涅槃とは、本来の創造の在り方のことです。
創造主の創造が素直に表現された世のことです。
この素直さに立ち返るための鍵がインシャアッラーです。
これまで起きたこと、今起きていること、そしてこれから起きることのすべてはインシャアッラーつまり神の思いに叶った出来事であると信じることで、終焉を前に荒れ狂う「異常」の中においても立つことができます。
すべては僕たちの目覚めのために起きています。
僕たちの魂の目覚めのために最も最適な出来事が、最も最適なタイミングで起きています。
このブログは、その理解をサポートするために立ち上げました。
「すべてはインシャアッラー」、あらゆる不安を根本から解消するこの概念が、多くの人たちの胸に入ることをこころから願っています。
しょうがないよカバールだもん
いわゆるDS(ディープステート)やイルミナティと同じものと考えていいと思います。
このカバールの行ってきた所業が、今加速度的に明らかになり始めています。
チャンネル数十万のユーチューバーたちが発信すれば、そのようになりますね。
もちろん、このような情報に触れた人たちがみなその情報を受け入れるかと言えば、そうではありません。
なんと言っても、暮らしのほぼ全てが闇に乗っ取られていたという情報ですから、簡単に受け入れられるわけがありません。
しかし、これから情報がますます明らかにされるにつれ、いずれは彼らもこの真実に向き合わねければならなくなります。
そのような彼らの気付きを促すためには、一足先にこれらの情報を知った僕たちが、今一度寛容になる必要があります。
すべては、カバールの行った悪事が原因なのです。
その悪事により、多くの人たちが今も精神の牢獄に閉じ込められています。
カバールの作った貨幣制度により金がすべてと思い込まされ、カバールの作った教育制度で考える力を失わさせられ、そしてカバールの作ったマスメディアにより真実とは程遠い何かを信じ込まされています。
カバールは乗っ取りの天才です。
カバールは、どんな脅迫も行える非情さと誰にも負けない狡猾さがあれば、何者をも乗っ取ることが可能であると信じています。
そんなカバールが、自らの姿を隠しつつ巧妙な乗っ取りを企てたら、どんな人もその術中から逃れることはできません。
つまり仕方がなかったのです。
カバールにすべてを乗っ取られるというのは、この地球に住むすべての人の宿命だったのです。
しかし、そんなカバールもいつまでも地球に蔓延るわけにはいきません。
なぜなら、この宇宙には「陰極まれば陽になる」という反転の法則が存在するからです。
「明けない夜はない」という言い方でもいいかもしれません。
光がなければ影は存在し得ないように、この宇宙に闇だけが存在することはできません。
この無謀なチャレンジに挑んだのがカバールでした。
彼らは、自分たちだけが永遠に利益を貪る闇の世界をこの地球に構築するチャレンジに挑みました。
そして現在、ほぼすべての国の政府や大企業を乗っ取り、人民をも黙らせた彼らはそのチャレンジに成功したかのように見えます。
この支配は、COVIDつまりワクチン接種証明にて完結します。
そして、彼らの闇の支配が完結するこの瞬間が、皮肉にも彼らの終わりの時となります。
イブがリンゴを食べて以来の「陰」が「陽」に変わる瞬間です。
今世界に起きているのは、ただの政府の汚職や怠慢といった生易しいものではありません。
人類を何千年にも渡り支配した闇が砕け散る瞬間なのです。
このような時にあっては、真実から目をそむける人たちをもはや責めるべきではありません。
それは、人によっては死よりも恐ろしい出来事です。
それよりは、各人には各人なりの気付きのタイミングがあることを信じて、ただただゴールに全員揃うことを祈るべきです。
最後にはすべてうまくいく、数々の予言が伝えるこの言葉を今こそ信じるべきです。
カバールとは、ただの悪党ではありません。
それは、創造主と見紛うほどの演出を行うことのできる悪魔たちだったのです。
そのカバールが、ついにこの世から消え去ろうとしています。
この壮大な変化の時期に、普通でいられる人はまずいません。
これからカバールの正体が明かされるにつれ、さらに多くの人たちが動揺、そして絶望します。
中には、自我の崩壊を恐れるがあまり、先に真実を知った人間を困らせようとする者が現れるかもしれません。
それでも僕たちは、彼らにとっての光であることが必要です。
僕たちよりひどい洗脳を受けてしまった彼らに対し、怒りではなく慈悲を発揮する必要があるように思います。
そのためには、ライトワーカー同士の結束というのは何より重要です。
一人で慈悲を発揮することは難しくても、大勢で励ましあえば何とかなります。
人は、怒られると反発しますが、慈悲をかけられれば素直になるのです。
そう信じて、できるだけ多くの人たちを素直な理解に導くことが、僕たちライトワーカーのこれからの役目ではないかと思います。
先日の瞑想の成功は、僕たちのこの役目をきっと支援してくれるのではないかと思います。
しょうがないよカバールだもん、そう言って出会うすべての人を許す寛容さが、今僕たちに求められています。