DECLASを起こそう!!
「DECLASを起こそう!!」
DECLASとは機密情報解除のことです。
しかもここでいうのはただの機密情報ではありません。
聞けば世界中の民がひっくり返ってしまうような長年隠されてきた衝撃的な機密情報です。
このDECLASがまもなく起きると少し前から噂になっています。
知らない人は「なんのこと?」と思うかもしれませんが、知ってる人の間では今か今かと待ち焦がれるほどの大きなムーブメントとなっています。
さてこのDECLAS、まもなく起きると噂されてから実はしばらくの時が経っています。
そのためDECLASを望んでいる人たちの間でも、実は来ないんじゃないか、いや必ず来る、といった議論が巻き起こっています。
このDECLAS、なぜなかなかやってこないかというとこれは民の間にまだ準備ができていないからに他なりません。
なにしろ二度と日の目を見ることがないと信じられてきた情報が明かされるわけですから、そのような事はないと信じてきた人たちに大変なショックを与えることは間違いありません。
中には自分の人生をその道に捧げてきた人たちも大勢います。
このような人たちは生きる希望を完全に失ってしまうでしょう。
人というのは絶望した時どのような行動に出るか想像がつきません。
逆を言えば、世をカオスに陥れるためにはこの瞬間を狙って工作を行うことが最高の戦略となります。
DECLASを発動する者たちの懸念はまさにこの一点に尽きます。
そして彼らの計算においては予想される混乱が許容範囲に収まらないため、その発動を見合わせる期間が続いています。
一言で言えば民の多くはまだDECLASを望んでいないのです。
それでも僕たちはDECLASがもたらす多くの恩恵を知っています。
そんな僕たちはこの発動を早めるためにどんなことができるでしょう。
それはDECLASを望む一人ひとりがそれを望んだことの責任を強く感じることが必要ではないかと思います。
例えばDECLASが起き人々に対して行われてきた不正の事実が明らかになると、多くの人は怒りそして泣き悲しみます。
中には糾弾に耐えられずに自ら命を絶つ人も大勢現れます。
理由を言わずに死んでいく人たちも大勢いるでしょう。
このような事が起きたとき、僕たちDECLASを望んだ者は彼らの遺族に対し何と言えばいいのでしょう。
犯罪者を身内に持ったお前が悪いとでも言うのでしょうか。
死んだということは何か不正をしていたに違いないと言うのでしょうか。
そんなことを言ったら彼らはDECLASという事象に携わった者を必ず恨むようになります。
そんな彼らが抵抗組織を作ったら平和の到来がその分長引くことは言うまでもありません。
DECLASとは最後の審判の始まりのようなものです。
この日を機にすべての人はこれまでのすべての行いを明かされていくのです。
そう考えた時、果たしてどれだけの人が自分のすべてを明かされる覚悟をしてDECLASを望んでいると言えるのでしょう。
実はそんなに多くはないかもしれません。
だって大抵の人にはまわりに言えない秘密がいくつもあるのだから、それを明かされる覚悟をするならもう少し神妙な態度になってもいいでしょう。
DECLASの重要性は知っていても自分の準備がまだできていないという人間がもっと現れてもいいはずです。
しかしDECLASが起きる起きないで一喜一憂するシーンの有様を見ると、多くの人がこのDECLASを他人事のように捉えている気がしてなりません。
要は他人の秘密だけが明かされるという捉え方です。
もちろん僕たちがそのような意識状態にある間、DECLASが発動されないことは言うまでもありません。
DECLASはそれを望む一人ひとりが少なからずその責任を負うことを了承した時、発動が許されることになります。
それがどのような結果をもたらそうと自分は望んだとはっきり言える人たちの数が臨界に達した時、それは行われるということです。
例えばもし機密が明かされて半狂乱になった人が現れた時、僕たちはどう対処すればよいのでしょう。
自殺した人の遺族が僕たちを非難しに押し寄せた時、僕たちは彼らにどう説明をすればいいのでしょう。
ここで僕たちが自分の責任でないと逃げてしまっては彼らは全く浮かばれることがありません。
彼らが知りたいのは僕たちはどうしてそのような彼らにとっての不幸を望んだかです。
それについて僕たちは、彼らが納得するよう自分の想いを伝える必要があります。
それはDECLASを望んだすべての人たちが背負う義務です。
僕は、DECLASを望んだ人たちは他に先駆けて真実を知ろうとした勇気のある人たちだということを知っています。
どれだけ変わり者扱いされても、真実の情報の追求そして拡散をし続けてきた強い心の持ち主だということも知っています。
その誰もが初めて真実の情報に触れた時、大きな衝撃と戸惑いを感じました。
その衝撃をこれから世界は集団意識が構築する現実として体験します。
その様子をある人は阿鼻叫喚であると表現しました。
道理の全く通用しない集団パニックの状態です。
このような状態になると、人は人間に対し二種類の見方しかすることができません。
自分に安心を与える者と不安を与える者です。
パニックになった彼らは、安心を与える者には激しくすがり不安を与える者には全責任をその者に負わせて非難します。
このような事態になった時、僕はこれまで頑張ってきたみなさんがぜひ周りに安心を与える者になることを望みます。
パニックを和らげ同じ理解に導いてあげる役目です。
そのためには今からそうなった時のイメージトレーニングをよくしておくことが肝要です。
自分だったらこう言ってもらえれば安心するんじゃないか、この説明なら理解できたんじゃないかと自身の過去をよく思い出しながらシュミレーションを何度も行うのです。
覚悟ができた人の数が増えれば増えるほどDECLASの発動の時期は近付きます。
そして計算によりはじき出された混乱の様子が対処可能と判断された瞬間、DECLASは発動します。
DECLASを発動させるのはアライアンスの役目ですがそのフィールドを整えるのは僕たちの役目です。
これまでの努力の集大成を見る瞬間がもうそこまで来ています。
このシーンの最後の一押しは僕たちの寛容さにかかっています。
ここはみんなで励まし合ってぜひ驚きの時を迎えましょう。
地球の夜明けは目前です。
何千年もの間人類が待ち望んだ天国への扉が今開かれようとしています。